『宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証』

阿満利麿 著
ちくま学芸文庫
ISBN4-480-08919-5
近代日本批判の本。
一言でいえば、ファンが読むようなタイプの本、という感じのものか。全体的に、やや漫然とした試論集、といった感じで、中心的なテーマがはっきりとあるのでも、きっちりと論じられているのでもない、自由なエッセイ形式の本ではあり、内容的にも、特にこれといったものはない、リベラルな立ち位置からのありそうな近代日本批判、という以上のものでもなく。
ところどころに面白い部分がない訳ではないし、読む人が読めば(解説を書いている人みたいに)意義を引き出せるのだろうけども、私としては、ファンが読むのならともかく、特に薦める程の本でもない、と思う。
実際のところ、敢えて本書のテーマを挙げれば、近代日本は国家が宗教に成り代わろうとして失敗した、現代日本では宗教は国家を超えられるのか?、とでもなる訳だが、最後がクエスチョンマーク付きの投げっぱなしで終わっているのはどうなのだろうか。
少なくとも、この著者の本を初めて読むのなら他の本から読むことを薦める。
以下、個人的で勝手なメモ書き。
・平家の落人伝説は、無意味で且つ不条理な人生が拠って立つところの不合理を、死者の世界であるあの世等ではなく、現世における同一空間である都に置いた点に特色がある。
・政治的経済的に安定した江戸時代には現世を全面肯定する思想が広まったが、本居宣長に至って、現世が拠って立つところの不合理を、古事記の神々、古事記の神が現世の支配者と定めた天皇に置くようになり、現世を肯定するために天皇支配を肯定する道筋が整えられた。
・近代(そして現代)日本において、宗教が、現世が拠って立つところの不合理を設定しようとすれば、既にそれとして設定されている天皇支配に抵触せざるを得なかった。