『定刻発車 日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』

三戸祐子
新潮文庫
ISBN4-10-118341-4
日本の鉄道は何故時間に正確なのか、ということが考察された本。
内容としては、日本の鉄道が時間に正確なのは、いかなる社会的、歴史的、乃至は環境的要請や条件に拠っているのか(第I部)、定時運転を可能にしている鉄道技術とはどのようなものであるのか(第II部)、そして、時間に正確な日本の鉄道は、今後どうなっていくのか(第III部)、ということについて、書かれたもの。
鉄道が時間に正確であることにそう特別な秘訣があるのでもないから、そう特別なことが書かれている訳でもないが、全体として、良質なノンフィクション、という感じの本か。結構良い本ではないかと思う。
良かった点としては(多分相互に関連しているのだろうが)、三部構成の全体の流れがすっきりとしていること、割と丹念に考察しているように思われること、特に第III部に、私には興味深かった指摘がいくつかあったこと。
技術が芸術になっている世界、に対するものを含めて、根源的な批判が余りないように感じられた点が、心持ち残念といえば残念な点だが、何にでも批判的であれば良いというものでもないし、これは無い物ねだりではあろう。
よくまとまっていて興味深く、良い本ではないだろうか。お薦めできる本だと思う。
以下、個人的で勝手なメモ書き。
国鉄全列車の平均遅延時分が1分より短くなったのは、昭和59年である。
・中央線東京−中野間では、大正13年から、混雑時には三分間隔で走っていた。
・新橋−横浜間の日本最初の鉄道は、もちろん単線で始まったが、外国人が設計したこの鉄道には、複線用の用地が確保されていた。後に日本人が鉄道を設計するようになると、単線には単線の用地しか確保されなくなった。
・(このように)ゆとりのない鉄道システムの下では、一つの列車が遅れたら、すぐ後ろを走っている後続の列車、終点で折り返してくる列車と、どんどんと遅れが広がっていき、システム全体が、不安定になってしまう。一つの列車を定刻通りに動かすには、すべての列車が定刻通りでなければならない。
・列車が、前後の列車の位置を直接把握できるようになり、それに基づいて制御され、更には分岐器も列車独自の判断で動かせるようになれば、今までのように、すべての列車がダイヤ通りに動いていなければならない、ということはなくなるだろう。
・日本の鉄道は乗客に定刻運転を提供してきたが、定刻運転のための迅速な乗り降り等を乗客に強いてもきた。鉄道は、遅れてもいけないし、乗客のわがままも許されない厳しい公共スペースであった。
・携帯電話で連絡を取り合っている人が厳しい待ち合わせ時間を持たなくても良くなっているように、情報化社会の中でゆとりのない厳しい公共スペースにゆとりができるようになれば、定刻運転の習慣も変わっていくかもしれない。