『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』

湯浅治久 著
中公新書
ISBN978-4-12-101983-7
中世における日蓮宗の展開に関して書かれた本。
テーマ的にややまとまりはなく、論というよりはエッセイという感じの本か。中世日蓮宗に関して雑多に書かれたエッセイ、ということで良いのなら、読んでみても良いかもしれない。
おおよそのテーマは、日蓮宗等の鎌倉仏教は、中世後期に村落ができる時にその中核となり、戦国仏教として広く人々の間に浸透していった、といったものだが、そのテーマを正面切って論じたものには、殆どなっていないと思う。また、周辺のテーマである、鎌倉仏教や顕密仏教がどのようなもので、それを支えた中世社会がどのようなものであり、戦国時代にかけて、社会が何を原因にしてどのように変っていったのか、というような事柄に関しても相当程度の知識が求められ、私にはかなりきつい本だった。
そうした点をひっくるめて、エッセイとして読める人なら、というところか。ただし、左派的で、おそらく護教的な部分もあるのだろうと思う。
中世社会の一研究といえば、一つの研究だろうから、それでも良ければ、という本。
広く薦めるほどの本ではないだろう。

以下メモ。
日蓮宗が地域社会の中核になるには、阿弥陀信仰や、厄除けの薬師信仰、観音信仰、顕密の寺院が発給していたお札等、様々な信仰と習合していかざるを得なかった。不受不施派は、そうした展開が抱える矛盾の中で、あくまで原理主義的な主張を行ったものである。
・鎌倉仏教は、経済的には成功したが社会的地位は低かった有徳人を積極的に布教の対象にし、また彼らを布教の対象とする必要上、現世利益を肯定する道を模索した。
(鎌倉仏教が中世後期に戦国仏教として発展し、顕密仏教がそうはならなかったのは、この違いが大きい、ということなのだろうか?)
・継続する家の意識の成立を背景に、十五世紀末頃には追善供養を行うことが広く一般に浸透し、戦国仏教はこれを武器に人々の帰依を獲得していった。