『グロテスクな教養』

高田里恵子
ちくま新書
ISBN4-480-06239-4
教養はミドルクラスの上昇志向と結び付いたものである、というようなことが書かれた教養論。
(ただし、教養をロワーミドルの上昇志向とみるのか、アッパーミドルのエリートのものとするのか、本書の議論はやや明解さを欠く)
全体として、うだうだとしていて何がいいたかったのかはよく分からないが、それなりといえばそれなりの教養論か。そうしたもので良ければ、読んでみても、というところ。
著者自身がぐちぐちと言い訳を並び立てているくらいだから、何がいいたかったのかは、誰にも分からないだろうが、良く解釈すれば、重厚で、生に近い思考が書かれたもの、ではあるかもしれない。
この手のものはえてしてそういうものになりがちだろうし(と、著者自身が開き直っているし)、それなりに面白い部分もあり、全体は分からなくても個々の部分が分からないということはないので、読みたければ読んでみても、という本ではないかと思う。
私は切れ味のないものは嫌いなので本書も好きになれるタイプの本ではなく、薦める程ではないが。
以下、個人的で勝手なメモ。
・元々、教養というのは、旧制高校に代表されるようなそれなりのエリート男子が、自らがただ受験テクニックに優れた優等生ではない、ということを主張し、あるいは立身出世への野心を糊塗するために、必要なものだった。
・教養とは立身出世に必要のない知識であって、教養の敵は就職であり、実際に立身出世の可能性が閉ざされた、若者が戦地に赴くしかなくなった太平洋戦争中には、教養は一躍跋扈した。
・それでも、男性の教養はまだ自ら獲得したものだったが、女性の教養は、相続したもの、育ちのよさ、と看做された。