『中世の東海道をゆく 京から鎌倉へ、旅路の風景』

榎原雅治 著
中公新書
ISBN978-4-12-101944-8
中世の東海道(京−鎌倉間の旅路)に関していくつかのことが書かれた本。
基本的には、割と細かいことをぐだぐだと考証した私の好きなタイプの歴史本で、私としては十二分に面白かったので、中世の東海道に関する雑学的なもので良ければ、読んでみても良い本だと思う。
欠点としては、中世の東海道の風景を言葉で表現するのは、やはり少々難しくはある。東海道の土地勘が全くない人にも、厳しいものはあるかもしれない。
私としては面白い本だったので強くお薦めしたいが、人に薦めるには、少し割り引いておいた方が良いのか。
ただ、別に悪いということはないので、楽しめる人にはこれで十分に楽しめると思う。
興味があるならば、購読しても良い本だろう。
以下メモ。
・熱田と鳴海の間には大きな干潟があり、干潮時に干潟を渡ることが行われた。両宿は、潮待ちの場でもあっただろう。
・中世、東海道を行くには、近江から不破関を越えて美濃に抜けるのが普通だった。美濃と尾張の中間にある墨俣は、墨俣川(長良川)と交差する重要地点であり、頼朝が、朝廷から官位をもらったものは墨俣からこっちに帰ってくんな、といったのも肯ける。
・かつて、大井川の河口付近は幾筋もの流れに分流した扇状地になっており、中世の旅人は分流した小さな流れを徒歩で渡ったので、大井川は必ずしも東海道の難所ではなかった(富士川等もそうだった)。
河口付近の開拓が行われ、堤防が築かれるにつれ、中心河道が固定されていった。
・宿は、元々東国で軍営を指す言葉として使われており、鎌倉幕府によって、京都−鎌倉間や京都−博多間の重要交通拠点として、整備されたのだろう。
・中世の宿には、寺院が立ち並び、宿泊機能を提供していた(網野善彦の考えに倣うなら、なんらかの禁忌があったのだろうか)。