『武士から王へ お上の物語』

本郷和人
ちくま新書
ISBN978-4-480-06388-5
中世日本における王権の進展振りを中軸に書かれた史論。
正面から歴史の流れを見据えようと、割と大上段に振りかぶった史論、あるいは少なくともその試みで、私はこういったものが大好きなので、面白く読めた。
こういう史論が好きな人には、良い本ではないだろうか。網野史学のファンとか。網野善彦の余り良い読者ではなかった私がいうのだから、違っているかもしれないが。
ある種の試みだから、批判すべき点は多分多くあるのだろうが、現状では十分に面白い本だと思う。
批判としては、やや政治史(マルクス主義でいえば上部構造)に目線が寄り過ぎのような気がする。13世紀前半に貨幣経済が進展して、農地、農村を基盤にした御家人鎌倉幕府が巧く立ち行かなくなった、とは書かれていても、貨幣経済が進展したのは何故か、ということまでは殆ど視点が及んでいない、とか。宋銭が大量に輸入されることによって貨幣経済が浸透した、とは書かれているが(よく知らないが私の勘では普通、歴史の論理としては、順序が逆なのではないだろうか)。顕密体制についても、これらの仏教が朝廷を鎮護するものだったとされるだけで、古代日本の氏社会に適応したものだという視点はないようだ。
もう一ついえば、中世は現実の実効支配(当知行)がものをいう時代だったのに、権門体制論等は現実を見ていない、と著者は批判しているが、権門体制論がその程度の批判で崩れるような間抜けな学説だということは、私は知らないものの多分、余り期待できないのではないだろうか。
二度目の木津川口の戦いで九鬼嘉隆が勝利した、とかも書かれているが、しかし現時点の試論としてはこんなものなのだろう。
中世日本史論として、面白いので、興味があるならば読んでみて良い本だと思う。
興味があるのならば、購読しても良い本だろう。
以下メモ。
・皇統が二つに別れることは、幕府にとってはもちろん都合が良かっただろう。
安達泰盛御家人以外の庶民も被支配民として統治に繰り入れようとしていたが、貨幣経済の発達で御家人が貧窮化する中、鎌倉幕府の基盤である御家人の利益を第一に考える勢力に敗れた。
・きらびやかに着飾るバサラ大名は、発達した貨幣経済の申し子であり、それ故に、貨幣社会で権力を握り、天皇制や荘園制を忌避する新しい政治思想の土壌となった。
・中世において進展した王権は、支配と従属の縦関係の頂点にいることを目指す。中世の村落では横の繋がりも強く、横に繋がった人々が平等に神や仏と縦の関係を結ぶ一向宗キリスト教が広まったが、それは頂点を目指す王権とは相容れなかった。