『「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち』

安田敏朗
中公新書
ISBN4-4-12-101875-3
国民国家に必要な「国語」を作ろうとしたことを批判する観点から、国語学史の流れを素描した本。
私には著者が何をいいたかったのかどうも余りはっきりとせず、全体的には、なんだかよく分からない本であった。
国語は近代国民国家にとって必要なものだったから国語学者たちはそれを作ろうとしたのだ、というのが全体のテーマであると看做すには、余りにもあからさまに、結論が先にありき、であるし、かといって、国語学者がそれを作ろうとしたからどうだ、という話が語られる訳でもなく、たとえるなら、調理していない海鮮煮込み鍋、みたいな本か。
基本的に国語学者たちの政治的な主張があげつらわれるのみで、国語学の中身に、国民国家に必要な国語という政治がバイアスをかけた例は殆ど語られていないのだが(日本語と、琉球語アイヌ語朝鮮語との同祖論とか、方言の中に古い時代の要素を発見することで、方言の話者に日本国民としての歴史的な一体感を持たせた、というくらいか)、その点が、私には、批判として、何を批判したいのかがよく分からない、という感じを抱かせる所以ではある。国家に反対しない奴は全員敵だ、みたいな感じなんだろうか。
国語学者たちの政策は、戦前には必ずしも結実せず、戦後、「現代かなづかい」「当用漢字表」という形で、国語民主化のスローガンの元、行われた、という指摘は面白かったし、ここが一つのクライマックスではあるのだろうが、私としては練り込みが足りないと思った。
これらのことから、全体的には、私にはなんだかよく分からない本。
私としては、余り薦めるような本ではなかった。