『日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和へ』

渡辺京二
洋泉社・新書y 渡辺京二傑作選1
ISBN978-4-86248-766-7
近世政権の成立が要請された国民的背景について論じられた本。
中世の自由とは、自力救済、弱肉強食の万人が万人にとって狼という自由であり、それでは戦乱の収まるべくすべはないから、平和を構築するために中央政権が必要だった、ということが書かれたもの。
ただし、要するに著者がいいたいのは、前近代においては近代市場経済の逼塞感はなかった、しかし、中世は狼の自由の時代であり、それを統制した近世こそが最高だ、ということだと思われる。
いろいろ書かれているし、批判として、あるいは雑論としては面白い。評論として、全体としては、やや不足も目立つ。何冊かのうちの一冊としてなら、読んでみてもという本か。
著者はこれまでの中世研究について中世にユートピアを見すぎていると批判するのだが、それはブーメランとなって、著者自身に近世にユートピアを見すぎていないかと返ってくるのではないだろうか。
全体的に、立場がうそ臭いというか、自分の立ち位置を掘っている感じがする。
評論としては物足りない所以である。
中世研究批判としては面白いので、批判で良ければ、というところ。
ただし、こういう評論全体のためにする批判であることは、多分認識すべきなのだろうと思う。
そうした批判で良ければ、という本だろう。

以下メモ。
・奴隷という言葉にはアメリカの黒人奴隷に代表される近代奴隷制度の印がきざまれているが、前近代における奴隷がそのようなものであったかどうかには注意を要する。
二毛作が普及し、その肥料となる下草の採取地として山に入る権利が必要になったことで、権利を管理する惣村が成立した。
・惣村では投票によって刑事事件の犯人が選ばれることがあった。
・中世の裁判は当事者主義的であり、成文法や判例は当事者がそれを持ち出してきたとき以外には意味を持たなかった。
・中世の自由とは誰かに守られることであった。
一向一揆は権門的な旧支配層の一形態であり、それ故に倒されたに過ぎない。