↓このエントリの論理構造に関する考察

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070728#p1
先ず、御手洗氏の主張は、
A)「競争のないところにイノベーションは生まれない」
であると思われる。
A式は、私には穏当で妥当なものであるように考えられるし、ドラッカーもA式は否定しないと思うが(アメリカの経営学者がA式を否定すれば、多分革命だろう)。
これに対し、
B)「競争すればイノベーションは生まれる」
は困ったものだと批判しているが、A式とB式は論理的にイコールではない。
ドラッカーもB式は否定するかもしれないし、私もB式は少々危ういと思う。
しかし、B式を批判するのに、
C)「イノベーションは(多様性等の)競争の外部より生まれる」
ということをいっているが、C式が成り立てばB式が成り立たないかどうかは、明らかではない。「競争すれば、イノベーションが競争の外部から生まれる」という主張は、別に矛盾なく成り立ち得る。
そこで漸く、
D)「激しい競争は外部を潰す」
という主張が出てくる。
D式の激しいを括弧でくくって、すべての競争、に替えるならば、この修正D式とC式からは、B式のみならずA式が否定できる(従ってD式は、A式は正しいがB式は正しくない、という主張の根拠にはなり得ない 8月2日付記:これは間違い。C、D式が正しければ、A式が正しくてもB式は成り立たない)
そこで問題は、D式をA式に対する二次近接として認めるべきかどうか、ということになろう。
ある種の競争が外部を潰すものであることは、多分あり得ることだと思うが、競争一般が、あるいは激しい競争が必然的に、そうなる、かどうかは、少しく疑問ではないだろうか。
自由競争は自由競争である以上、常に一定の条件下で行われる訳ではない。
例えば、生物進化は、常に一定の条件下で競争が行われる訳ではない、という条件の下、有性生殖という手段で行われてきたが、常に一定の条件下で競争が行われるのならば単性生殖の方が有利であり、人間をはじめとする多くの生命種が有性生殖を捨てていない事実は、長く激しい生存競争が、外部を潰す方向ではなく、多様性を確保する方向に作用してきたことを示しているのではないだろうか。