しかし、囲碁で養う考える力、

というのは、正直どうなのだろう。
こういうのは、ある種のパターン認識だから、それ専用の神経細胞しか働いていないのではないだろうか。
経済の専門家が他の分野に関してはとんでもないことを主張する、とか、物理の専門家が脳科学の分野で、とかいうようなことは、ままあることだが、それは、ある専門領域で必要な考える力と、別の専門領域で使われる考える力とが、必ずしも同一ではないことを示しているのではないか。
そういったものを捨象して、すべての専門領域で必要な考える力、あるいは思考力一般というものを、措定できるのだろうか。
そうでないならば、囲碁をして、囲碁に必要な考える力を養ったとしても、それは他の分野で必要な考える力を養うことになるのかどうか、ことによったら桎梏となるリスクもあるのではないだろうか。
ただし、当該分野が行き詰まっている時には、その分野で必要とされてきたのではない考える力が必要な場合もあるかもしれず、人間万事塞翁が馬ということか。