『ミシェル・フーコー』

(重田園江 著、ちくま新書)を120ページで挫折。
120ページにあるのは管理教育批判だが、この著者と私とでは見えているものが違うのだろうと分かった。

疑問点二つ。
・循環論法っぽい感じがするのだが、これは解説本だからそうなるのか、元もこんな感じなのだろうか。
中世の権力が敵対者を死なせる権力であるのに対して、近代の権力はより生産的に生きさせる権力である、というとき、この発見は監獄の研究によって導き出されたものなのか、あるいはこの発見を前提として、監獄の意味が導かれたのだろうか。
・結局のところ、監獄の誕生についての実証研究の話はまるで出てきていないようなのだが、これは著者がネグっているのか、元からそうなのだろうか。
ベッカーリアが、道路を運ぶ荷馬車を襲った罪に対する刑罰としては道路を改修する土木工事をさせるのがふさわしい、といったとき、その主張は適してもいないし実現可能でもないと私には思われるが、この発言を元に、監獄はベッカーリアに代表される啓蒙主義者の理想とはまったく異なるものだ、と断ずるのはどうなんだろう。