余人をして替え難い、

なんていう仕事をする人は、圧倒的に少数派だろう。
とりわけ、学者というものが、35歳くらいまでになにか決定的な仕事をしなかったら、余人をして替え難い業績を残すのは無理な職業である、というのは、何も数理物理学者に限ったことではないのではなかろうか。
他の誰かによっては代替のきかない仕事をしているのでないならば、そこでは当然比較優位の原則が働く訳で、比較優位の観点からいえば、誰もが自分に最も適した仕事に就くことは社会全体の最適解を保証しないから、当人にとっては最も適した仕事をしているのではないとしても、それだけでは、そのことが取り返しのつかない不幸であったかどうかは分からないし、本人にとってはまだしも、社会にとっては、それが最も良いことだった、ということは十分にあり得ることだろう。
ひょっとしたら、ノブレスオブリッジもそういうものかもしれない。
cf:http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070811/p1