近ごろの若い者は、

バカに見える、ような気がする。
統計を取って調べた訳ではない自分の感覚なので違っているかもしれないが、私が考え、あるいは感じる頭が良さそうに見えることと、今の若い人たちが考え、あるいは感じる頭が良さそうに見えることとは、異なっていても別に不思議はないから、近ごろの若い人で私にとって頭が良さそうに見える人が少ないとしても、そういうことも確かにありそうな気がする訳である。
多分、頭が良いことと、頭が良さそうに見えることとには、本質的な関係はそれ程ないのだろう。
生まれつき頭が良いなどということは一部の部分だけで、頭が良い人の大多数は、頭が良いとされることを内面化したから、頭が良いのだろう。頭が良いというモデルは、自分から見て、当然頭が良さそうに見えるから、頭が良いとされることを内面化する過程では、頭が良さそうに見えることをも内面化することが不可避的に起こるに違いない。
頭が良いことと、頭が良さそうに見えることとは、数値化して統計を取れば有意な関係にあるかもしれないが、それは、頭が良くなる過程で両者が不可分に内面化されるからであって、本質的な関係があるかどうかは疑わしい。
本質的な関係がないとすれば、それは文化であろう。
文化であれば、世代によって差があっても、別に不思議なことでないのではかろうか。
私が子供の頃、頭が良さそうに見える同級生はまだ結構いたが、そういう人には、ガリ勉タイプと看做されるマイナスイメージもあったように思う。ガリ勉を嫌う傾向が現在の方が弱いとはとても考えられないし、最近では、頭が良さそうには、おたくっぽいというイメージも付きまとうから、昔ながらの頭が良さそうという指標が、今の若い人にプラス評価されることは余りないのではなかろうか。
今の若い人が昔の指標に替わる新しい頭が良さそうに見える指標を持っているかどうか知らないし、そういう話は聞いたこともないが、近いうちに出てくるのかもしれない。
我々は、何を以って頭が良さそうに見えるか、という文化の継承に失敗したのではないだろうか。