『背信の科学者たち 論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか』

イリアム・ブロード/ニコラス・ウェイド 著 牧野賢治 訳
講談社ブルーバックス
ISBN4-06-257535-3
様々なミスコンダクトの事例を通して、それが、(現代)科学にとってイレギュラーではない、当然起こり得る事態であることを論じた本。
テーマ的に、やや明快さを欠き、捉え難いような気もするが、色々な科学不正の事例が語られていて、その点では、私には面白かった。不正事例に興味があるならば、楽しめる本ではないだろうか。
テーマとしては、科学は客観的なものであるとイデオロギッシュに信じられているが、科学とそれ以外の知的活動との客観性の差は程度問題でしかなく、科学における不正も、(科学が本来持つと信じられているような)客観性によってはすぐに暴きたてられることにならないのであって、不正は、科学における例外事象ではなく、普通に起こり得るものなのだ、というのが大体のところだろうか。余りすっきりとはしていないと思うし、原著が古いせいか今更感もあるので、科学哲学の方が興味の中心という人には、向かないかもしれない。味付け程度で良ければ、特に悪いということはないが。
後は、訳文がこなれていない箇所が若干あるが(第9章の冒頭とか)、全体的に変、ということはないので、許容の範囲内か。
基本的に、私としては面白かったので、不正事例に興味があるならば、楽しめる本ではないかと思う。
興味があるならば、購読しても良い本だろう。
以下メモ。
ガリレオの実験は再現不可能で、ニュートンは『プリンキピア』の中で偽りのデータを使った。
・都合の良い実験データを選んで発表したミリカンはノーベル賞を授賞し、すべての実験データを開示して彼に反対したエーレンハフトは失意の底に沈んだ。
・追試を行ってもそれで評価されることはないから、実験を改良することでより良い結果が得られる見込みがあるとかの特殊なケースでないと、追試は行われない。
・科学者は一つの研究を複数の論文に分けることで、業績を水増しする。多くの二流以下の科学論文が氾濫しており、それらは、追試どころか、一度も引用されることなく、忘れ去られていく。
ゼンメルワイスは消毒液で手を洗うことによって産褥熱による死亡率を18%から1%へと減らしたが、その客観的なデータが同時代の産科医を説得することはなかった。