ツンデレのリアリティは、他者の内面という隠されたものを想定しているところにあるのではないだろうか。
もしそうであるならば、ツンデレにおける萌えは、萌えるが故にリアリティがある、のではなく、リアリティがあるが故に萌える、のではないだろうか。
あるいは、このような因果関係を認めるべきではなく、萌えとリアリティは不可分の、一体のものであるのかもしれない。本来コントロール不可能な現実である他者の内面を、ツンデレにおいては支配している、という点で、幼児的全能感の発露が、エスを解き放つのかもしれない。