『徳川将軍家の結婚』

山本博文
文春新書
ISBN4-660480-5
徳川家歴代将軍の結婚事情について書かれた本。
正妻を迎えた時の事情や、その後の成り行きを中心に、将軍の子供達の婚姻相手等をも記した歴史読み物。よくある歴史ムックで同じタイトルのものを想定すれば、大体そんな感じ、といった本で、ストレートな内容の捉えやすい本ではあるだろう。
それ以上でもそれ以下でもなく、そうしたもので良ければ読んでみても、というところ。ストレートな内容なので、後は特に記しておくようなことはない。
私としては、まずまず、こんなものだろうと思う。興味があるのなら読んでみても良いのではないだろうか。
以下メモ。
・諸大名と政略結婚を繰り広げた家康、秀忠は別にして、幕府の権威が確立した家光以降は、皇女和宮の降嫁まで、幕府の婚姻政策は積極的なものではなかった。将軍家の地位に恥ずかしくない、摂家や宮家からの正室を迎えればそれで良く、天皇家との婚姻にもそれ程積極的だった様子はうかがえない。
・家光以降の徳川前期の将軍と正室との関係も形ばかりのものだったが、九代家重の正室比宮増子に至って懐妊する等、夫婦関係も段々と実質的なものになっていった。
・婚姻政策に積極的でない幕府に代わり、将軍家の婚姻は女性が主導することが多かった。
秀忠の孫にあたる明正上皇は家光の三男綱重に関白二条光平の姫君を世話し、六代家宣の正室の近衛煕子が七代家継に霊元法皇の皇女八十宮の降嫁を願い、島津に嫁いだ綱吉の養女竹姫の遺言で、島津重豪の娘が一橋家に嫁ぎ、やがて十一代家斉の正室となった。
・嫁いだ女性は婚家を重視した。天璋院和宮も幕府崩壊直後の江戸城を離れることなく徳川家存続に尽力したし、娘を渋々武家に嫁がせた近衛煕子の父近衛基煕は皇女の降嫁に反対だった。入内した東福門院和子も、夫に味方して、後水尾天皇の譲位を後押ししたと考えられる。