『戦後和解 日本は<過去>から解き放たれるのか』

小菅信子
中公新書
ISBN4-12-101804-4
戦後和解について書かれた本。
全体的なテーマは、ありそうではあるが、細かい部分までは妙に判然としない。
その原因として考えられるのは、一つには、本書には論証が決定的に欠けている。何かを主張するために何かを論証する、という部分がないため、因果関係がはっきりとせず、主張がぼんやりとしたまま、しかも著者の言いっぱなしで終わってしまっている。例えば、戦争裁判によって取られる正義と不正義のバランスとは具体的にどのようなものであるか、東京裁判はどのような点でニュルンベルク裁判に劣っており、いかなる影響をもたらしたのか、日英和解に一定のインパクトを与えた橋本謝罪とはどのようなものだったのか、といった本書の重要な論点に関しても、直接的な記述が余りに乏しいように思う。
もう一つ、論証が欠けている結果なのか原因なのか、本書には、論理的な一貫性がないような気もする。著者がいうように、現代における戦後和解が戦争裁判の上に成り立っているというのなら、日本は、東京裁判の結果を真摯に受け止めるべきで、A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝するなどは言語道断、という方向に行かざるをえないのではないだろうか。
余りイデオロギッシュでないのは良いのだが、全体的に考えが足りておらず、一冊の本にテーマを与えるための練り込みが不足しているのではないかと思う。
個々の部分では面白い指摘がなくもなかったので、雑多な読み物レベルで良いのなら、それなりといえばそれなりの本ではあるが、テーマ的にすっきりしたものはなく、全体としては、余り良い本ではない、と私は考える。
メモ1点。
戦没者遺族共同体を核にしたナショナリズムや、国際法とジャーナリズムの発達、社会の世俗化・民主化が進行した現代では、(キリスト教が決めるような)単純な正義の戦争も、君主が自分達の利益のために行う戦争もあり得ず、総力戦となった過酷な戦争の過去が忘れさられることはなく、戦争を戦った敵同士が和解するためには、戦勝国が、裁判を行って、犯罪者と無実の者との線引きを行い、正義と不正義とのバランスを取ることで、戦勝国民と敗戦国の中の無実の者との間で、和解と平和の回復がはかられるようになってきている。