『殿様の通信簿』

磯田道史
新潮文庫
ISBN978-4-10-135871-0
江戸時代初期の何人かの大名について書かれた読み物。
個人的な印象として、タイプ的には、作家が書くような歴史読み物、と考えておくのが良いような本か。個人的、というのは、私が必ずしもそういうのが好きでもないし、読んでもいないからだが。
歴史読み物としてそれなりといえばそれなりだが、史料批判も殆どなく、作家ではなくて歴史学者が書くのなら、私としてはもう少し考証が欲しかった。史料の紹介っぽいのは最初の少しだけで、後は大名(というより武将)についてのぐだぐだとした読み物になってしまうし。
別に、作家が書いた歴史読み物だと思えば、こんなものかもしれないので、そうしたもので良ければ、そうした本か。歴史読み物として特に悪いということはないと思う。
そうしたもので良ければ、読んでみても、という本だろう。

以下メモ。
・岡山に移封された池田藩対策のため、内匠頭の父の代に、赤穂浅野藩に築城が命ぜられた。築城のために、赤穂藩には尚武の気風が残り、山鹿素行が居たのもそのためだった。
大石内蔵助の祖先は大坂夏の陣での敵の首級をあげる活躍で出世した。内蔵助が吉良上野介の首にこだわったのは、その影響があったのだろう。
前田利家が死んで家康が動き出したように、大坂の陣の直前に前田利長が亡くなっており、加賀藩では徳川と豊臣の板ばさみにあった利長が自死したものとも考えられていた。
(利長が、徳川に派遣を求めた医師団に対して、女の方はありません、毒の入っているようなものは食べさせられていません、と誓紙を渡したのは、接して漏らさず、という発想が根底にあったのではないだろうか)
・豊臣恩顧の蜂須賀家では、参勤に時に、大坂の陣で家康からもらった感状を掲げて、徳川への奉公をアピールした。