売れない芸術作品はクソである。

芸術を提供する機会は、現在では芸術作品の総数よりも常に少ないだろうから、いかなる芸術作品が提供されるべきか、という問題は、実は常に現前にある。
より良い芸術作品が提供されるべきであることに余り異論はないであろうが、問題は、「より良い」の具体的な中身が何であり、それを誰がどのように決めるのか、という点にある。
何が「より良い」芸術作品であるかを、最終消費者が自分で支払う対価によって決定するならば、芸術作品の提供は売れるか売れないかという観点から判断されることになるだろう。
芸術作品の提供に関して、それを売れるか売れないかという観点からのみ判断するべきではない、という批判はいくらでも転がっているが、この批判は、それに替わっていかなる判断基準を取るべきか、ということが語られていない限り、殊更に取り上げる価値はない。
判断基準が示さないならば、それは結局のところ、俺の好むものを提供しろ、と言っているに等しいからである。
テレビは視聴率偏重をやめるべきだ、という批判も、多分これと同じことが当てはまるだろう。