太平洋戦争前後の時代を生きた人の内、

緒戦の勝利に沸いた高揚感を知らず、後半期に空襲で逃げ惑った体験や敗戦後の食糧難等しか経験していない人にとっては、戦争というのは多分絶対的な悪に見えたのだろう、ということは、想像できる。
それを敷衍するならば、バブル景気を知らずバブル崩壊後の平成不況しか知らない人にとって、経済成長や経済競争は、絶対的な悪、に見えるのではないだろうか。
バブル経済のお祭り騒ぎに乗っかってしまった、我々より上の世代の人には、長かった平成不況も、あれだけ馬鹿やったのだからしょうがない、自業自得、バブルと不況でプラマイゼロ、くらいの感覚が、頭のどこかに、あるのではないかと思う。バブルを知らない若い人から見れば、バブル崩壊後の長い不況は、相殺されるもののない絶対的な怨嗟の的になるのではないか。
バブル以後を生きる私は、確かに、経済成長を、我々にとって目指すべき未来である、とは最早見ていないものの、依然として、経済成長そのものは、それなりに――環境問題を考えるなら絶対とはいえないが――正しいと信じているが、物心ついた頃から、豊かで且つ不況だった今の若い世代の人にとっては、経済成長を正しいと信ずる契機は殆どなく、経済成長は、本質的に正しいことではない、のかもしれない。