現人神が依代としての神

であるとすると、依代は神そのものではないのだから、現人神は進化論とは必ずしも矛盾しない、ということになるだろう。
依代ならば人間が作った剣でも鏡でも門松でもかまわないのであり、烏などは神の遣いとされるくらいだから、蛇でも猿でも猿の子孫でもかまわない訳である。
古事記』等を無謬の聖典とする思想に立脚するならば、矛盾するということもいえるだろうが、そこまでの原理主義的な発想は、日本的な宗教思想には余り似つかわしくないように思われる。