『幻想の未来/文化への不満』

フロイト 著/中山元
光文社古典新訳文庫
ISBN978-4-334-75140-1
フロイトによる宗教批判を集めた論集。
『幻想の未来』『文化への不満』と、『人間モーセ一神教』の一部を訳したもの。
全体的に、精神分析をある程度知っている人が、興味を持つのならば、読んでみても、というような本か。
文章は、酷く堅くはないものの、翻訳調文体だし、所々分かり難い箇所があるし、精神分析を知らない人にはよく分からないだろうし、特に薦める程のものではないと思う。
分かり難いのは、フロイトのせいなのか、時代のせいなのか、翻訳のせいなのか(訳文について一つだけ悪例を挙げておくと、「ユダヤ人を大量虐殺したことも、キリスト教徒にとって中世をより平和で、安全にする力はなかったのである」などと書かれている)。基本的な部分でも、宗教という筋立てと文化という筋立ての二本の筋があるのだが、その論理的な関係が、私にはよく分からなかった。
酷く悪くもないが、特別に良くもなく。
それらについて織り込める人なら、読んでみても、というところだろう。
ちなみに、『幻想の未来』と『文化への不満』の簡略な粗筋は、以下のようなもの。
人間は誰しも自分の欲求をすべて満たしたい生き物だが、現実にそれを実現することは無理だし、少しでも多く満たすためには、他者との協同生活を営み、協同生活の掟である文化の中で暮らしていかねばならない。
文化は人間に多くの欲望の放棄を求めるので、人間には、文化に対する不満が、本質的にある。
フロイトは、文化は客観的には人間に利をもたらすものであるから、それに対する不満が本質的に存在するのは奇妙なことだという。文化が満たすのはエロス的な欲望であり、タナトスの方は、文化にとって最大の敵であるから、抑制されるタナトスが、文化に敵対するのである(ただし、フロイトは、個人の幸福と社会との敵対が、エロスとタナトスの対立から生まれたのではない、と書いている。抑圧されたタナトスは、超自我となって、自我という攻撃目標を、文化によって得る))
文化が、人間の持つ文化への敵愾心を和らげ、人間に保護を与え、人間に望ましくない欲望を放棄させる重要な手段として、宗教が使われてきた。
宗教は、無力な幼児が親の庇護を求めるように、外界の庇護を求める人間の欲求が生み出す幻想なのである。