そういえば、

吉田茂より後の日本の総理大臣は、返り咲きということをしていないが、これは何か日本の戦後政治の特質から来ているのだろうか。
55年体制における自民党一党支配の下、選挙による政権交代とその返り咲きとが全く起こらなかった、ということは、一つの要因として挙げられるだろうが、それでどこまで説明できるのか。田中や福田が、派閥の後継人事に失敗する程長期に渡って、返り咲きを狙い、しかも返り咲けなかったのは、個々の偶然の事情なのか、それとも、背後に共通の構造があり、それは自民党一党支配に帰せられるのだろうか。
自民党内の争いではなく、田中党VS福田党という選挙民の目に分かりやすい対立なら、福田返り咲きの目はあったかもしれないから、自民党一党支配が福田が返り咲けなかった要因かもしれないが、刑事被告人であった田中は、おそらくはそれ故に、総理候補である自民党総裁として選挙を戦うことはできなかったのだろうから、自民党一党支配が田中が返り咲けなかった要因ではないかもしれない。
日本の戦後政治の特質から、返り咲きが無理だ、ということになれば、安倍は辞められない、ということになるし、自民党一党支配が返り咲きを許してこなかった究極の要因だとすれば、二大政党制に近づきつつある現在、安倍は辞めても返り咲きの可能性がある、ということになるだろう。
しかし、そもそも本人の実力で手下や支持者を集めて首相の座を勝ち取った訳ではないだけに、返り咲きの目はかなり薄そうだが。