『中世賤民の宇宙 ヨーロッパ原点への旅』

阿部謹也
ちくま学芸文庫
ISBN978-4-480-09047-8
ヨーロッパ中世人の思惟構造に関していくつかのことが書かれた本。
11、2世紀のヨーロッパにおいて、均質的、抽象的で普遍的な、空間と時間の捉え方、モノを媒介としない人間関係、が生じたのであり、それ以前には、自分たちの内側にある宇宙と、それとは異なるその外にある荒涼とした宇宙、直線的でなく円環的な時間、贈与・互酬に基づく人間関係の中に、人々は生きていた、ということを主要なモチーフに、それに関連したいくつかの事柄が述べられたもの。
私はこの人の本を読むのは多分本書が初めてだが、内容的には確かにそれなりに面白いのだろうものの、著者の論理の筋を追うのが難しい箇所が結構遍在していて、余り良い本ではないと感じた。
一例だけ挙げると、p278に、現代人の宇宙像と中世の宇宙像は違うから、中世の「図像をわれわれは解読できないんです。どのようなものを中世の人びとが怖れたか、そのおおよそのイメージは図像を見れば、ある程度は呼び起こすことができます」と書かれているのは、図像を解読はできないがイメージならば分かる、ということなのだとしても、こうすんなりと順接になっているのは日本語としておかしいと思う。
著者の論理の筋道を辿るのは大変だし、私には完全には辿れない箇所もあって、著者のいうことをどこまで信用して良いのか、よく分からない感じがある。序に書いておくと、著者の考えとしては、空間や時間概念の変化の更に大元の要因として、人間関係の変化があった、といいたいようだが、そのこと自体はどこにも論証されていない。
全体として、無理に読む程のものでもない、というところではないだろうか。普通一般の読者がわざわざ読んでみる程の本でもないのではないか。著者のいうことが正しくて、中世ヨーロッパや近代というものを見る視点として本当に重要なら、遅からず誰かが解説してくれるだろうから、それを待つ、という手もあると思う。
本書は、論理の筋を追うのが難しく、基本的には余り良い本ではないので、無理に読む程のものではないだろう、と私は考える。
以下メモ。
・ハインペルは、歴史的現在を画するのは、破局とそれを甘受する者の歴史意識の構造だとひとまずおいた。
ゲルマン人は、死者もまた(現世やどこか別の場所で)生きているという観念を抱いていて、死者が必要とする財宝等を墓や秘密の場所に埋めていたが、キリスト教が普及すると、死者のための財宝を、死者の霊の救済のために教会等に寄進するようになった。こうした寄進は、現世において報酬を受けるものではなく、来世において果報を受けるべき、現世においては無償となる贈与であって、霊の救済のための贈与が、必要な金額が単純な貨幣数量で換算されたり、土地の寄進から土地の売買の形式が発達したりして、贈与社会から交換経済への変革の基盤となった。個人が救済され、あるいは教会がより多くの寄進を受けるためには、個人が家族共同体から離れ、自由に処分可能な私有財産を持つことが必要であり、こうして、教会が、共同体から離れた公のものとして中世ヨーロッパ人の前に立ち現れた。