『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』

神田千里 著
中公新書
ISBN4-12-101817-6
島原の乱の経緯と、当時の人々の宗教感情のあり様を追った本。
史料を丹念に追って島原の乱を跡付けているので良質の歴史書だと思うし、私には十分に面白い本だった。
興味があるならば、良い本ではないだろうか。
一番最後の最後が、やや尻すぼみというか、どうも意味なく終わってしまった感はあり、また、敢えて問題点を挙げれば、島原の乱という一事象から当時の日本人の宗教感情全体を語るのは(必ずしも著書が全面的にそういう議論をしている訳ではないが、少なくとも本書の構成としてはそうなっている)、どこまで妥当性があるか疑念がなきにしもあらず、ではあるが。
歴史好きならば読んで損はないと思う。
以下、メモ。
・天道に奉仕することによって、その加護を得られる、という考えは、中世末期の日本に広く存在した。
支配者達も、天道に適う施政を喧伝し、自ら天道の体現者であることを目指した。信長、秀吉、家康が神を目指し神になったのも、この脈絡から捉えられる。
・イエスズ会が唯一神デウスの訳語として天道を用いたように、当時の日本人にとって、キリスト教は、こうした天道の一種としての共通の構造を持っていた。
キリシタン大名も、彼らだけが特別の存在だった訳ではなく、天道に適う施政を目指す他の支配者と同様に、デウスに適いデウスの加護を得られる施政を目指したのである。
・島原・天草地方では、豊臣・徳川両政権下での禁令にもかかわらず、キリシタン統制が進んでキリシタン活動が逼塞したのは、1620年代後半に入ってからである。
島原の乱一揆を起こした人々の多くは、この時は棄教したものの、再びキリスト教に戻った「立ち帰り」キリシタンであり、飢饉と重税が続いた中で、かつての信仰に戻り、かつてと同じようにデウスの加護を得ることを目指したものだろう。
・当初、幕府は一揆を重大視しておらず、松平信綱を送ったのはあくまで戦後処理のためだっただろう。