『足利義満 消された日本国王』

小島毅
光文社新書
ISBN978-4-334-03440-5
足利義満に関していくつかのことが書かれた歴史評論
中心となるモチーフとしては、タイトルにあるように、足利義満は東アジア情勢を適切に睨んで明から日本国王に封じてもらったのに、その偉業を封印して隠してしまった夜郎自大的な(後世の)天皇中心主義はけしからん、といったものだが、一直線にそれに踏み込んだというよりは、その他、足利義満に関してやや雑多に書かれた本。
踏み込んではいないので、例えば、足利義満が東アジアを見据えていた、というのも、日本国王に封じてもらったからそうなのだ、というだけで、どう適切に睨んでいたのか、あるいは本当に適切だったのか、というようなことは殆ど議論されておらず、私としては物足りなく思えたし、持って回った衒学的な言い回しや妙に自信に溢れた態度等もあって(例えば、司馬遼太郎のことを最初に持ち出す時に、記者福田定一としか書かないとか)、私は、余り好きになれる本ではなかった。
評論なので、これが良いという人もいるだろうから、合うと思えば、読んでみても、という本か。
それでも良ければ、というところだろう。
メモ1点。
朱子学は、性善説を高揚するために性善説を明確に説いた孟子を高く評価したが、そのために、孟子が説いた放伐という革命思想が入り込む可能性が生まれた。ただし、朱子は慎重にその可能性を潰そうとしたので、朱子学が最初から革命思想を内包していた訳ではない。