『反西洋思想』

イアン・ブルマ/アヴィシャイ・マルガリート 著 堀田江理 訳
新潮新書
ISBN4-10-610182-3
反西洋主義的な思想は広く普遍的に存在する、ということが説かれた本。
そこそこ面白いとは思うが、テーマや内容はせいぜい50pくらいの雑誌論文に相応しい程度のもので、要するにそれを一冊に薄く引き延ばした、といった感じの本か。
良くいえば、厚くなった分は、様々な反西洋思想が集積されて、ごった煮になっているので、これで面白いといえば、面白いだろう。そういうもので良ければ、読んでみても、というところ。
しかし、このゴッタ煮というのがまた問題ではある訳で、分量が厚くなったから議論が厚くなったということには全くなっておらず、様々な反西洋思想を系統立てて分類、整理したりとか、やるべきことはいくらでもあったのではないだろうか。旧約聖書に登場するような、傲慢で堕落した都市バビロンに対する反発と、現代の反西洋思想とを本当に同一のものと看做して良いかどうか、あるいはそれがどのような関係にあるのかの検討とか、反西洋思想を、富や成功に対する憬れと妬み、物質VS精神、普遍主義VS伝統主義、凡庸な日常VS偉大な集合体、知性VS反知性、世俗的な価値VSそれを越える価値、等々といった数多くの事柄の、何にどの程度還元するのか、またそれらの事柄の相互の関連はどうなっているのか、そして最も重要な点として、どれが決定的な要素なのか、の検討、とか。
後、反“西洋”思想の西洋を、著者や本来対象とする読者が、少なくとも一部ゲイシャガールのようなカリカチュアとして考えていることは確かだと思うが、翻訳されて日本語で読む場合に、その辺の事情が全然分からないので、何かが問題となる可能性はあるかもしれない。
ということで、全体として余り良い本ではないと思う。そこそこは面白いので、それでも読みたければ、読んでみても、というところだろうか。
練られてない感じがあるので、積極的には薦め難い本だと私は思う。
しかし、この本がアメリカで売れたのだとすると、反西洋思想は今に始まったことではないので大丈夫だ、という読まれ方をしたのではないかと思われるが、どうなのだろう。あるいは、国内における反対者の主張は非西洋諸国において反西洋思想として引用されている、あいつら許せんぜ、っていう感じなんだろうか。
メモ1点。
・偉大な人物を集合体の代表とは捉えず、個人を重視する社会にあっては、殆どの個人は凡庸な普通の生活を送らざるを得ないので、凡庸な日常を称揚する価値観が起こっている。凡庸な人生の称揚や物質的な快適さは、偉大な人物も(偉大でない人物も)集合体の一部と看做すユートピア的な理想にとって、そのガス抜きをしてしまう大きな脅威である。