『つくられた卑弥呼 の創出と国家』

義江明子
ちくま新書
ISBN4-480-06228-9
卑弥呼が聖を担う巫女であったというような見方は近代に創られたもので、古代の実態に合ったものではない、ということが主張された本。
風土記』の記述や古墳の埋葬されている人物を見るに、古墳時代前期には女性首長は珍しくなかった、卑弥呼もそうした女性首長の一人として捉えられるべきで、女性が聖を担い、男性が俗を担った、というような考えは、後の時代の発想を持ち込んだものである、というのが、大体のところだろうか。
議論が粗いような気のする箇所が若干なくはないが(p59 の土豪が云々という議論は訳が分からないとか、p69 の注の位置だけから会同を解釈するのは決め付け過ぎではとか)、卑弥呼の実像を探る、という点で興味深かったので、割と面白い本だと思う。
興味があるならば、購読しても良いのではないだろうか。
ただし、サブタイトルのようなテーマは、後半部分にあったのかもしれないが、私にはよく分からなかった。後、近現代において当然のこととして無批判に捉えられていた男女の違いを批判する、という点では面白いが、その批判が無批判に正しいかどうか、男女の違いが当然のこととしてなかったのかどうか、は問題含みではあるだろう。
以下、メモ。
・『魏志倭人伝』には倭が一夫多妻であったような記述があり、それだと男女比が狂ってしまうので『隋書』や『旧唐書』では、女多く男少なし、と書かれているが、古代日本の妻問い婚から考えてみれば、夫婦の結び付きが流動的だったということだろう。
・『日本書紀』の雄略天皇の記述を見ると、雄略は中国の使者と直接は面会しておらず、卑弥呼もそうであったとすれば、卑弥呼を見た人が少ない「少有見者」というのは、中国側の使者にとっての話、ということも考えられる。
(しかし、夫がいなかった、と書かれていることに対する解釈は、余り説得力のあるものが出ていないと思う。居処に出入りした「男子一人」が夫だろう、というのは良いとして、では何故彼が夫とされていないのか、という疑問が直ちに起こる訳で、はぐらかしている感じはある。そういう、議論が粗い印象は、本書には全体的にある)