『日本の古代語を探る 詩学への道』

西郷信綱
集英社新書
ISBN4-08-720284-4
古語に関してあれこれのことが書かれた小論集。
全体的にいって、正規の論文にするにはいささか心許ない発想や考究等を書きまとめたもの、といった感じの本か。そうしたもので良ければ読んでみても、というところ。
ただし、そうしたものであるため、かどうか、一つには、かなりの好事家向けではある。論文程ではないとしても、論文を読むつもりがあるくらいの人向き。一般向けというには結構難しめだと思うけども、他の新書が甘やかし過ぎなのだろうか。
ちなみに、本書で一番難しいのは、本編ではなく解説だ。解説が本編より難しくてどうする。
もう一つ、心許ない発想であるためか、やや突っ込みどころが多い気がする。ヲカシの語源はヲク(招く)ではなくヲコ(滑稽なこと)である、と強く主張しているが、ヲコが中国語起源の言葉であるとしても、既に記紀の時点で、アメノウズメが裸踊りをして皆を笑わせ、天照大神を天の岩屋戸から招き出したことがワザヲキ(俳優)であるなら、ヲクとヲコとの区別を言い立てることにどれ程の意味があるか疑問ではないだろうか、とか、禅智内供の長大な鼻は、フィラリアではないか、とか、赤丹の穂は、第一義的には稲穂のことだろう、とか、「大君のシコの御楯」のシコは、相撲でシコを踏むのシコと縁があるのではないか、とか(シコの御楯を地に突き立てる音が聞こえる、としながら、それでは食い足りなかった、としているのは、何故だか分からない。相撲でシコを踏むようにシコの御楯を突き立てた、で充分なように思うが。縁がないと思っていたのは不十分で間違いだった、ということなのだろうか)、稲作を言挙げし過ぎ、とか。
それでも、それなりに面白かったので、そういうもので良ければ読んでみても、という本だろう。
以下、メモ。
・古代社会では、言と事は未分化だった。
・ガマガエルのガマとは、降魔であり、不動明王の相である。
・石に精霊があるとするようなアニミズム的発想が、日本で庭園が発展した背景にある。
葦原中国大国主がうしわく(自然発生的に支配する)国であるのに対し、稲穂の穀霊であるホノニニギ天孫降臨し、知らす(統治する)ことになったのが、豊葦原水穂国である。