『ペリー提督 海洋人の肖像』

小島敦夫 著
講談社現代新書
ISBN4-06-149822-3
ペリーの伝記。
史書というよりは、紀行文っぽい感じの本だが、内容的には、ほぼ伝記と考えて良いだろう。
この、歴史書というよりは、というところに、私の本書に対する評価のすべてが現れていて、全体的に、冷徹な研究というよりも自己陶酔感があって、私としては、余り好きになれる本ではなかった。
ただし、駄目という程でもないので、許容範囲内といえば、許容範囲内か。日本へ来る前と後のペリーの動向というのは余りよく知られていないと思うので、それを知ることができるという面で、それなりには面白い。薦めるのではないが、読んでみたければ読んでみても、というところ。
タイトルにも付けられている海洋人が云々、というのは、著者が強くそれを主張したいということは分かったが、具体的にどういうことなのか、というのは、私には殆ど分からなかった。つまりただの自己陶酔に思える訳で、余り良い出来の本ではないと思う。
以下メモ。
・ペリー(マシュー・カルブレイス)の父親のクリストファー・ペリーは、アメリカ独立戦争の時に私掠船に乗って戦った。
長兄のオリバー・ハザード・ペリーは、米英戦争の時にエリー湖で英艦隊を破った英雄として、アメリカでは歴史上の有名人である。
・サスケハナ(本書の表記ではサスケハンナ)とは、チェサピーク湾の奥に注ぐ大河の名で、ネイティブアメリカンの言葉で泥水を意味する。ペリーの先任者のオーリックが日本への途上で解任されたので、艦隊の旗艦サスケハナ号はペリーと香港で合流した。
・ペリーは、鎖国日本に力を見せ付けるため、十二隻の艦隊を政府に認めさせた。最初に四隻の艦隊で日本を訪れたのは、準備不足のためであるが、次の選挙で敗北が予想されたホイッグ党フィルモア政権の下で準備してきたペリーは、対外融和策を掲げる民主党政権を待つ訳には行かなかった。一回目の訪問はフィルモア大統領の親書を渡すだけで終え、二回目に、九隻の艦隊を率いて、日本に回答を取りに来た。